2019年、「働く」と「暮らす」を越境するワークチェアとして話題を呼んだvertebra03。その開発をともにしたデザイナー・柴田文江との再タッグによって誕生したのが、SHIGA(シガ)です。
高度なエルゴノミクスを、極限までノイズを削ぎ落としたフォルムに封じ込める。そこには、機能を声高に主張するのではなく、空間に静かに溶け込みながら人を支えるワークチェアをつくるという大きな挑戦がありました。
新たな機構の開発から、こだわり抜いた色彩設計まで。デザイナーと技術者が互いのプロフェッショナルな感性を響かせながら、どのようにしてそのかたちへと辿り着いたのか。
2026年1月、「ITOKI DESIGN HOUSE SHIGA」で行われた記者発表をもとに、その開発の舞台裏を紐解きます。

“並ぶ”ことを前提にした設計
オフィスのあり方が変わるなかで、ワークチェアに求められる役割も変わりつつあります。商品企画部の岡本洋子さんは、商品開発の背景をこう語ります。
岡本:
オフィスは「当たり前に来る場所」から「来たくなる場所」へと変わりつつあり、カフェやラウンジ、店舗デザインのような要素が、エントランスだけでなく執務空間にも広がっています。内装材も有機的で心地いい素材が使われるようになりました。こうした空間ではいわゆる事務椅子ではなく、空間に馴染むチェアが選ばれる傾向にあります。2019年に柴田文江さんと共同開発したvertebra03は、その代表例です。

vertebra03は、「働く」と「暮らす」を越境するワークチェアとして誕生しました。リビングにもオフィスにも調和するデザインは、在宅勤務の広がりと重なり、大きな支持を集めました。そして、コロナ禍が終わりオフィス回帰が進むなかで、新たな声が届きます。「オフィスエリアで、より長時間快適に働ける椅子がほしい」。その要望に応えるかたちで、SHIGAの開発は始まりました。

岡本:
このSHIGAも、vertebra03を手掛けた柴田文江さんにデザインを依頼しました。今回は3つの要素を事前に想定していました。本格的なロッキング機構である「アンクルムーブ・シンクロロッキング」、高さのある背もたれ、そしてアジャスタブルな肘です。より“働けるチェア”としての要件を明確に盛り込みました。
“メイド・イン・滋賀”という覚悟
SHIGAの開発は、単なる新製品づくりではありませんでした。そこには、滋賀工場の技術と思想を改めてかたちにするという側面もあったのです。実は「SHIGA(シガ)」という名前は、もともとはプロジェクトのコードネームだったと、デザイナーの柴田さんは語ります。

柴田文江(以下、柴田):
vertebra03を製作する際に滋賀工場を訪れるなかで、お世辞ではなく、ITOKIのみなさんのものづくりへの姿勢が本当に素晴らしいと感じました。デザインの難しい要望にも前向きに向き合い、新しいことに挑戦してくださる。その姿勢がとても印象的でした。
実は、日本のワークチェアメーカーのすべてが、自社で開発し、自社で製造しているわけではないんですね。この椅子はまさに「メイド・イン・滋賀」であり、イトーキの技術と英知を結集して生まれた椅子。そうした思いを込め、コードネームだった「SHIGA」を、そのまま製品名として採用することにしました。

一方で柴田さんには、「できるだけシンプルなものをつくりたい」という明確な挑戦がありました。
柴田:
ITOKIは椅子を売るだけでなく、空間そのものをデザインする会社です。だからこそ、さまざまな場所に自然に馴染む、シンプルでアクセプタブルな椅子をつくりたいと思いました。シンプルに見えるものほど、実は高度な技術が求められます。だからこそ、滋賀工場であれば実現できると感じていました。
最初に共有した構想は、vertebra03と、ハイスペックモデルであるアクトチェアの中間に位置する椅子をつくることでした。十分な機能とエルゴノミクスを備えながら、多様な空間に調和するインテリア性も併せ持つ。そのバランスをどう形にするかが、開発の出発点となりました。

当初から意識していたのは、ワークチェア特有の高さのある背もたれが、空間に並んだときに生まれる圧迫感でした。そこで、首元を切り離したような構成とすることで、視覚的な抜けをつくり出しました。何台も並んだ際にも、空間に余白が感じられるようにするためです。
また、ワークチェアが整然と並ぶと、どうしても縦のラインが強調されがちです。SHIGAではあえて横のラインを際立たせる設計とすることで、より穏やかでゆったりとした印象を目指しました。
さらに当初は、昇降機能と可動肘を備えた5本脚キャスタータイプのみを想定していましたが、固定式のパイプ脚モデルも提案したところ、快く採用してくれました。用途や空間に応じて選択肢を広げることも、今回の重要なテーマのひとつでした。
SHIGAは背の高さを2種類から選ぶことができます。ただし従来の「ハイバック」「ローバック」という区分ではなく、背もたれの構成そのものに着目し、「triple(トリプル)」「double(ダブル)」と名付けられました。形状の違いを、より構造的に伝えるためです。脚部は昇降機能付きと固定式(パイプ形状で高さ固定)の2タイプ。肘は肘なし、T型肘、アジャスタブル肘の3種類を用意。用途や設置環境に応じて、柔軟に組み合わせることが可能です。

柴田:
バリエーションを持たせるというのは、限られた開発期間のなかで、3つのプロジェクトを同時に進めるようなものです。設計や製造の負荷は大きくなりますが、柔軟に対応していただけたことに感謝しています。
見えない構造の革新
見た目の美しさ、空間との調和、操作感、そして使い心地。そのすべてを高い次元で両立させることが、SHIGAの開発テーマでした。岡本さんは、その特徴を大きく3つに整理します。
岡本:
1つ目はデザイン、2つ目はエルゴノミクス(人間工学)、そして3つ目はシンプルな操作性です。

一日中働いても身体への負担を抑えるために採用したのが、「アンクルムーブ・シンクロロッキング」です。くるぶしを起点に背と座が連動して動くことで、後傾時に身体の各関節が自然に開き、より負荷の少ない姿勢へと導きます。
一般的なワークチェアは約20度まで後傾しますが、実際にそこまで倒して使用するケースは多くありません。SHIGAではあえて最大15度に設定しました。必要十分な可動域を見極めることで、実用性と安定性のバランスを取ったのです。
また、シェアオフィスのように多くの人が利用する環境が増えていることを踏まえ、初めて触れる人でも直感的に扱える操作性を重視しました。機能を増やすのではなく、迷わせない設計を目指しています。
そしてもうひとつの大きな挑戦が、座面下の「メカボックス」を極限まで薄くすることでした。本格的なロッキング機構を搭載しながらも、外観はあくまでスリムに。機能を内包しながら主張しすぎない構造を実現することが、設計上の重要なポイントとなりました。
外からは見えにくい。しかし、座り心地も佇まいも、その大半は座面下の“見えない部分”で決まります。SHIGAのスリムさを支える要となった「メカ」の開発について、設計リーダーを担当した横山剛士さんが詳しく説明してくれました。

横山剛士(以下、横山):
「メカ」とは、椅子の上下昇降やロッキング、肘の可動などを司る内部構造のことです。今回は2012年のエフチェア以来となる、まったく新しい機構の開発となりました。安全性をしっかりと担保しながら、柴田さんの描くスリムなデザインを具現化することは非常に難しかったですね。
— 一般的なワークチェアのメカは、どうしてもサイズが大きくなりがちで、それがシンプルなデザインの椅子の裏側にそのまま付いてしまうと、全体のバランスを損ねてしまいます。
横山:
当初、柴田さんからは「座面の下に突起が出るのは避けてほしい」と言われていましたが、実際に試作機で座り心地を体感していただき「これだけの座り心地が実現できるのであれば」と。デザインと機能の最適なバランスを一緒に見出し、いまの形に落ち着きました。企画、デザイン、設計の三者が、必要な機能を徹底的に吟味した結果、この薄さを実現できたんです。


柴田:
一見するとシンプルで分かりにくいかもしれませんが、その中にエルゴノミクスや蓄積された知見が内包されている。ある種日本的だとも感じています。それによって、あらゆる空間に馴染み、受け入れられやすい椅子になったと思います。
— その“さりげなさ”を実現するために、背もたれの構造にも大きな工夫が求められました。背を分割するというデザインは、見た目以上に高度な設計を必要とします。

柴田:
横のラインを強調しつつ、3段(トリプル)と2段(ダブル)の両方を成立させたかった。そのために背もたれを分割しました。ただ、堅牢性と柔らかさを両立させながら構造を分けるのは、想像以上に難しいことなんです。

横山:
背もたれを分割した状態で、強度とクッション性を保ちつつ、かつ一直線の美しいラインを成立させるのは至難の業でした。柴田さんが求める理想のデザインに応えるため、何度も試作と検証を重ね、ようやく現在のかたちに辿り着くことができました。
— 構造面での難題を乗り越えたあとも、挑戦は続きます。外観の印象を大きく左右する仕上げにも、新たな試みが盛り込まれていました。それが、今回採用した新色の「グロス塗装」です。
光沢という挑戦
柴田:
いま、デザイン業界のなかでグロス(光沢)の質感がひとつの潮流になっています。ただ、ワークチェアでこれを採用するのは非常にぜいたくな試みですし、製造工程のハードルも高くなります。それでも提案したところ、工場の方から「実は数年前から光沢塗装の技術を研究していました」と伺い、ぜひ一緒に挑戦したいと思いました。

— グロス塗装は、その美しさゆえにごまかしがききません。わずかな凹凸や歪みも、光によって際立ってしまいます。
横山:
グロス塗装は光を強く反射するため、下地となるアルミダイキャストを徹底的に磨き上げる必要があります。非常に手間とコストを要する作業ですが、妥協することなくやり遂げました。キャメル色の調色だけでも30回以上の修正を重ね、ようやく納得のいく質感に仕上げることができたと思います。
見た目はあくまで静かでクリーン。しかしその裏側では、素材と光の関係を緻密に見極める作業が積み重ねられていました。
構造を信じるアウトプット
柴田:
完成した魅力をより正確に伝えるために、クリエイティブチームを組み、撮影や動画制作にも取り組みました。SHIGAは多様な組み合わせが可能ですが、発表時にはあえてモノトーンの構成を中心にしました。それは、椅子の構造そのものに自信があったからです。まずは純粋なかたちを見ていただき、そこから自分ならどの色を選ぶか、想像してもらえればと考えました。
モデル選びやディテールの見せ方にも細心の注意を払いました。工業製品でありながら、私たちの感覚に自然と馴染むもの。「気持ちがいい」「使いやすい」と直感的に感じられる存在であること。そのために、デザイナーだけでなく、ものづくりの現場の人たちがそうした感覚に共感し、アイデアを出してくれることが、一緒に仕事をしていて非常に楽しい部分でした。
柴田さんは「vertebra03があったからこそ、今回のようなシンプルな提案ができた」と振り返ります。かつては強い個性や新しさで驚かせることを目指した時期もあった。しかし今は、暮らしや働き方のなかで、その椅子がいかに自然に“支える”存在になれるかを重視しているといいます。
派手さではなく、静かな確かさへ。SHIGAというかたちは、滋賀の現場で重ねられた対話と信頼のなかから生まれました。
Photo : PICZO 、Takuma Hosoi
Text : Michiko Inoue
Edit : Takahiro Shibata(Kichi)